写真で綴るアジアユース第3部
11月7日 ホテルを早朝4時過ぎにチェックアウトし、向かったのはバンガロールの空港。 とにかく安い航空券を探した結果、早朝6時の便になったわけです。 最大時7人いたサポも(ギャル含む)ついに2人だけに。 | |
新興航空会社KINGFISHERで移動。 直行で行けば2時間30分くらいなのに、経由便だったので4時間くらいかかった。 | |
コルカタの街並み。 | |
ちょっと街を外れると、リアルインド。 この日はガイドブックに載っていたホテルに直行。 | |
11月8日 コルカタの街を散策。 モイダン公園。
| |
ヤギ使い。 | |
市電。 | |
競馬場。 | |
ホテルの近くの通り。 昼間っから、 「葉っぱあるよ、葉っぱ。300Rp」 と、声をかけられるようなとこ。 それにしても安い。旅行者の麻薬トラブルが多いわけだ。 | |
11月9日 コルカタの会場、Salt
Lake Stadium。 | |
周囲を探検。 普通に人が生活してた。 | |
おや?ゲートが開いている。 | |
とりあえず入ってみた。 | |
中からピッチ。 | |
3層式のスタジアム。
| |
選手が到着! | |
普通に中に入れたので、チケットを買うのを忘れていたのを思い出す。 ここがチケット売り場。 | |
こんな感じ。 記念にいちばん安いチケを大量に購入。 | |
幕。 個人幕で生き残ったのは、柏木、槙野、内田、青木。 『超バモスマイク』はサウジ戦で雨に濡れ、物凄い重さになったために、Tさんと共に日本に強制送還となった。 ごめんよマイク。さすがに2人ではこれが限界。 | |
例によって試合の写真はナシ。 試合は追いつ追われつの白熱の展開。 決勝進出!!! | |
荷物を持って出てきたマイク。 マイク「ちょっと一緒にいてよ」 かわいいよマイクw で、AFCのメディアが、 | |
11月10日 練習見学。 ポイチ道場。 | |
GK練習。 | |
取材を受ける吉田監督。 | |
テレ朝のインタビューを受ける槙野。 若干緊張気味。 | |
オフショット。 | |
11月11日 決勝を翌日に控え、インドで最後の練習。 ポイチ道場。 | |
今やA代表候補の二人。 | |
帰りはテレ朝号に乗せてもらいました。 | |
コルカタダーリン号。(身内ネタ) | |
11月12日 いよいよ決勝戦。 スタジアムに着くと、子供たちが列を成して迎えてくれた。 | |
関係者入り口にも装飾が。 どうやら、今日はインドの大統領が来るらしく、万全の出迎え体制を整えていたらしい。 | |
まずは3決の韓国vsヨルダンを見る。 | |
2階で応援してた韓国人。 いっぱいいるなぁ。 | |
メイン1階に居たんだけど、自分たちが日本サポーターだと分かると、警察が周りを囲み始めた。 | |
VIP待遇。 | |
3決が終わり、決勝が始まるころには、メイン1階はすごい数の人。 バックや2階はガラガラなんだからそっちに行けよ。 | |
でも、幕を貼った周囲は警察の指揮のもと、簡易日本エリア。 インド警察はなかなか使える。 | |
両側は人の壁。 しかも幕で見えないとか言われて、現地民を敵に回してしまいました。 こっちが先に来て幕貼ったんだよ。 | |
決勝前のセレモニー。 | |
いよいよ決勝なんだけど、試合の写真はまったくナシ。 たった二人で、周囲は北朝鮮を応援する現地民に囲まれ、ある種混沌とした中での試合で、余裕がなかった。 個人的にはACLのマカッサルに次ぐアウェー感、2003年のアジアカップ決勝の中国戦よりもやりにくかった。 | しかも、3決でホーム側だった韓国のサポがそのまま決勝まで居残り、自分たちの頭上で北朝鮮を応援。 なんかね、もうあらゆることがありえない状況だった。 試合はPK戦の末、惜しくも敗戦。新たな歴史を作ることは出来なかった。 |
スタンドから声援を送る、決勝出場停止になった槙野と、第3GK桐畑。 | |
試合後の花火が引火して、スタジアムでボヤ騒ぎ。 | |
試合後、いつものように選手を迎える。 マイクは出てくるなり無言で手を差し出し、 「ありがとう」 と言って、握手を求めてきた。 その後も、 「俺、努力する、頑張る」 と、ずっと言い続けていた。 体調不良とはいえ、まったくいいところがなかったこの大会を、相当悔やんでいたようだった。 | PK戦で唯一外してしまった梅崎は試合後からずっと泣き崩れたままだった。 それでも、涙を流したまま、毅然とインタビューに答える姿は、まさにプロのそれ。 長い取材を終えて出てきた梅崎の目は、すでに涙こそないものの、真っ赤に腫れ上がっていた。そして自分たちを見ると真っ先に、 「すみませんでした」 と一言。あの姿は一生忘れないと思う。 謝る必要はないよ、PKなんて時の運。それにここまでこれたのは梅崎の力があってこそ、この悔しさはカナダで晴らそう。 そして、この大会に関わったすべての人たち、お疲れ様でした。 |
後記
最初はバンガロールの4試合だけ行く予定だったアジアユース。しかし一本の電話が運命を変える。 「バンガロール着、コルカタ発のシンガポールエアで航空券二人分予約しちゃいますよ。いいですよね?」 意志の弱い自分の運命はこうして決まった。 もはやそこには、もし予選で敗退したら?コルカタまで勝ち進めなかったら?などという考えはなくなっていた。 まあ、何とかなるさ。今までも何とかなってきたし。 | |
かくして、日本は予想外の(失礼)躍進を見せる。 決勝PK負けいうのは過去最高記録。(決勝延長負けは過去にあった) 3週間も仕事を休んで大変な面もあったけど、それ以上に得られた経験も多かった。 共に日本からインドへ駆けつけた数名のサポの皆さん、現地でお世話になった記者の皆さん、その他諸々関係者の皆さん、本当にありがとうございました。 それにしても、観戦記的なものを書く予定がなかったから、写真が少なくて(特に試合関連の)、いまいちの仕上がりで申し訳ないです。 | |
さて、いよいよ7月にはU-20ワールドカップが開幕します。 中の人はもちろんカナダまで行ってきますよ。 今度はちゃんといろんな写真を撮ってきますね! |
終わり